top of page

おぉ!大きい!学びも大きい!?大!! 大を歩いて考えた、田舎のイメージと現実について

s2621677
3 時間前
読了時間: 6分

こんにちは。芸術専門学群2年の神沢有珈です。

今回は大地区を歩いて感じた地域性について書きたいと思います。


1枚目の写真は大の田畑のパノラマ写真です。大の畑は広い!大きい!“大”だけに!……ひとまず親父ギャグは置いておいて……

さて、今回、大地区を訪れた理由は、ロゲイニングマップを見た際、スポットの数が他の地域に比べて極端に少ないことに気がついたからです。そこで、当初は新たなロゲイニングスポットになりそうな場所を探すことを目的に大を歩いてみることにしました。

実際に歩いてみたところロゲイニングスポットにできそうな場所を見つけることはできませんでした。しかし、歩いているうちに、他の地区では感じることのできなかった「大を訪れる価値」に気がつくことができました。


まず訪れたのは、おおむらゆうえんちです。

「ゆうえんち」と名乗っていますから、大きくて開けた場所にある公園だと予想していたのですが、実際は住宅の並びの中にある小さな公園でした。

公園にはブランコと、8人ほどで遊べる初見の遊具(画面左)がありました。

せっかくなので実際に遊んでみました!友人と2人で謎の遊具に乗ってみたのですが、結構楽しい!お互い顔を合わせながら揺れる遊具を跨いで、天気もよく友人の顔がキラッキラに見えました。これはまさに【青春】と言って間違いないでしょう。

公園からは時の流れる風情を感じつつ、地面や遊具の状態も良く、昔から今まで長く住民に親しまれている公園であるのかな、と感じました。



次に訪れたのは、鹿島神社です。

鹿島神社はロゲイニングマップでは「合祀令によって集められた村内6つの神社が境内にある」と紹介されています。

鹿島神社の鳥居の外から境内を覗くと、住民の方が2人ほどいて、ありがたいことに話しかけていただきました。

お話を聞くと、「鹿島神社には村内の複数の家系が祀る神様が集められている」とのことでした。そして「今日はその一つの家系の神様のお祭りの日」であることをお話ししていただきました。

なんと!年に何回もない貴重な日に神社にお参りすることができて嬉しかったです。

話しかけていただいた方は70代後半ほどの方だったのですが、彼女が生まれる何代も前から境内に複数の家系の神様が祀られているとお話ししていただきました。

境内を回らせていただくと、住民の方々が続々とやってきて挨拶を交わしている場面に立ち合わせていただきました。

鹿島神社での住民の方々の交流の一部分を見させていただいて、大がいくつもの年代にわたってつくり上げられてきた繋がりを感じることができました。



これまでロゲイニングマップに載っていた大のスポット2つを訪れました。というわけで、これから新たなロゲイニングスポットを開拓しよう!と意気込んで大を歩き始めたのですが、結果として特徴的なスポットを見つけることができず、当初の目的は断念することになりました……

写真は水路沿いにあった看板です。

『この付近には人家があります 危険ですから銃猟(発砲)には注意しましょう』

な、なんですって!?

しかし、猟銃が扱われていたということは、村に猟をする慣習があった、もしくは山から降ってきた動物から農作物を守るために猟銃を用いていたということでしょうか……これは推測にすぎないのですが……

物騒といえば物騒ですが、日常ではなかなかみない看板を見るとテンションが上がりますよね♩

他にも水田の水を管理していると思われる青い小屋など、大の暮らしや時間を想像させるモノとの出会いがたくさんありました。



私は、映画や演劇に興味があり、特に田舎を舞台にした作品に関心があります。そうした作品を通して、田舎という場所にさまざまなイメージを抱いてきました。しかし、実際に大を歩いてみると、これまで作品を通して見てきた田舎とは異なる田舎の姿が見えてきました。

もちろん、作品で描かれる田舎が現実とかけ離れているわけではなく、実際に、作品のなかで描かれるような風景や生活が存在する地域もあると思います。しかし、作品のなかで描かれる田舎は、物語における『象徴』として扱われ、実際に存在する要素が切り取られていると今回のロゲイニングを通じて感じました。作品での「トリミングされた」表現に触れ続けることで、私たちは知らず知らずのうちに、田舎に対するテンプレートを形成しているのではないでしょうか。

今回、特に印象に残ったのは、広い田畑の向こうに自動車専用道路が走り、上空には飛行機が飛んでいる風景です。写真ではわかりづらいのですが、画面中央奥に土浦バイパスと思われる道路が、右上には飛行機が小さく。

田畑の広がる風景や神社を訪れた感じた住民の交流は、私が想像する典型的な田舎のイメージそのものでした。一方で、バイパスや飛行機は、その風景に後から別のレイヤーを重ねたように見えたのです。あたかも、そのレイヤーを非表示にすれば、もとの田舎の風景だけが見えてくるように感じたのです。

しかし、実際には、バイパスも飛行機も、現在では地域を構成する風景の一部になっています。外から訪れた私には別々のレイヤーのように見えたものも、地域の人々のなかではひとつの生活としてすでに結びついているのかもしれません。私が感じた違和感は、目の前に広がる景色そのものに対するものではなく、私が抱いていた「田舎」とのギャップに抱いたものだったのではないかと思います。

私は映画や演劇に関心があって、今後、自分が作品を制作したり、作品を広めることに関わったりするのであれば、地域を物語のための象徴としてだけ捉えることは避けたいと思います。これまで、解放の象徴として理想化される、反対に、閉塞感や象徴する場所として描かれる「田舎」を、複数の作品の中でみてきました。もちろん、物語のなかで特定のイメージを共有するために田舎を象徴的に描くことも表現方法の一つだと思います。しかし、そうしたイメージだけに依拠すれば、そこで営まれている実際の生活を見落としてしまう可能性があります。今回大を歩いたことで、これらのことについて考えさせられました。

物語を作る際、現実をそのまま描く必要はないと思います。しかし、現実に存在する『田舎』というもの用いるのであれば、そこでどのような生活が営まれ、風景が広がっているかということを知ろうとする必要があるのではないでしょうか。私は、その責任感が作品をつくることに携わる人々に求められるのと考えます。

今回のロゲイニングだけで、大に暮らす人々の生活を理解できたとは思っていません。しかし、今回の経験では、自分が抱いていた田舎のイメージと、実際の田舎とのあいだにあるギャップに気づく機会となりました。これを機に、土地だけに関わらず、映画や演劇で表象されるモノと現実のギャップに気がつけるように、実際に歩いてみる、感じてみるということを大切にしていきたいと感じました。


© 2024 by Fujita Lab.,  University of Tsukuba

bottom of page