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栄の歩き方③ かつての栄、今の栄

こんにちは。理工学群2年の齊藤脩です。

栄地域を紹介するシリーズ「栄の歩き方」、これまでの第一回では「つくばR8ロゲイニングin栄」の模様を、第二回では栄で営業する高梨製菓店さんを取り上げました。

最終回となる第三回では高梨製菓店さんでお聞きした話から、栄地域のさんぽを通してかつての姿を探っていきます。


そもそも栄とはどのような地域なのでしょうか。そのためにつくば市の周辺のお話から始めましょう。

つくば市の東に土浦市があります。茨城県南部の一大都市で、江戸時代には土浦藩の城下町として栄えました。一方、つくば市の西、茨城県の西端に古河市があります。こちらは日光街道上の宿場町で、古河藩の城下町でした。この二つの街を繋いで街道が敷かれ、その名を「古河街道」と呼びました。この古河街道上に置かれた宿場町、それが栄です。同じような宿場町に大曾根があります。

現在栄地域を東西に貫く藤沢荒川沖線、これがかつての古河街道でした。ここを街のメインストリートとして様々な商店が建ち並んでいたそうです。


かつての古河街道。自動車道にしては不親切とも言える細かく曲がりくねった道をしています。これもこの道がかつての街道であったことを示しているといえるでしょう。


藤沢荒川沖線は栄郵便局で北に曲がり、そのまま藤沢に向かいますが、古河街道はそのまま西に向かって土浦に至ります。


かつては栄に旅館がありました。これは宿場町としての顔を持った栄を象徴する存在でした。同じような理由で大曾根にも旅館があったそうです。こうした風景からかつての栄を想像することができます。


昭和期には旧街道が商店街としてにぎわいます。現在の筑波研究学園都市は影も形もない荒れ山であったころ、多くの人々が暮らすのは点在する集落でした。栄の商店街はそうした周辺の集落の住民も加わって大変な賑わいを見せていたそうです。

第二回で特集した高梨製菓店さんも商店街の一角で訪れるお客さんに愛されていました。

「商店街で催される様々なイベントが楽しかった」と語る高梨さん。一番の目玉は商店街を巡ってスタンプを集めるスタンプラリー。抽選で豪華な招待旅行が当たるというので、毎年心を躍らせながらお買い物を楽しんだそうです。


栄周辺の農地。こうした自然風景は時を経ても変わらず。


そんな商店街に転機が訪れたのは約20年前のこと。筑波研究学園都市の開発が進み、多くのチェーン店が軒を連ねるようになりました。すると人々はそちらで買い物をするようになり、次第に町の中心もかつての街道沿いから研究学園都市へ移り変わっていきます。栄の商店街を訪れるお客さんは年々減少、後継者不在により閉店が相次ぎます。今では数店舗を残してほとんどの商店が営業を辞めてしまいました。


神明神社。古くからの集落の近くには必ずと言っていいほど神社があり、住民のみなさんの信仰に深く結びついています。


しかして、栄の人々のつながりが失われてしまったわけではありません。現在、さくら交流館を利用して地域の人々が参加する様々なイベントが企画されています。

時代に合わせて街の形は変わっていきますが、その中で培われた人々の絆は簡単に失われるものではありません。栄を愛する人々がそこに住んでいる限り、心のつながりが生まれるのです。


「栄の歩き方」と題し、全三回にわたって栄地域の魅力をご紹介しました。今後も地域発展のための様々な取り組みが行われていくでしょう。みなさんもぜひ一度栄を歩いてみてはいかがでしょうか。本特集では取り上げられなかったさらなる魅力が見つかるかもしれませんよ?


齊藤脩

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