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“ランドスケープ” にみる大曽根の今昔

こんにちは。人文文化学群3年の白石涼馬です。



今回はランドスケープ的な視点から大曽根を歩いて回ります。

大曽根は元々,現在の県道128号線に沿って形成された村でした。

鹿島台を過ぎた辺りがかつての村の南側の入り口です。道端に残る十九夜燈からその痕跡を伺うことができます。かつては村の内外を分ける一種の結界としての役割を担った石碑ですが,現在では町の歴史性を象徴する景観の1つの構成要素となっています。特筆すべきは,簡易的な屋根が設けられている点や,ブロック塀が石碑を回避するように建てられている点であり,石碑の存在,つまり町の歴史を尊重する姿勢が景観に反映されているのです。周囲には住宅地のほかに空き地が混在し,程よい村はずれの雰囲気を感じさせる景観となっています。





ほどなく進むと,大曽根の今昔が入り混じった景観に出会いました。

道路の右側には立派な門を有する旧家が,左側には近代的な住宅が建っています。この場所以外にも大曾根ではいくつか歴史を感じさせる屋敷が残っていましたが,その一方で多くの土地には現代的な住宅が建ち並びます。シークエンス景観の中で古い建物が時折みられるというのは,道を行く人々に対して過去を想起させると同時に,移ろいつつある今を考えさせるものでもあるのです。中には空き家もありました。これらの景観はまさに,大曽根のこれからのあり方を人々に問いかけていると言えるでしょう。





村の北の端までやってきました。

ここでも村の入り口同様に道が2つに分岐します。合流点には馬頭尊などが祀られていました。これらも村の出口を象徴する要素として景観を構成しています。南端の十九燈には屋根やブロック塀などの配慮がなされていましたが,こちらも柵に囲われた高台が設けられており大切に整備されています。分岐を右に進むと県道128号線は県道53号に合流するわけですが,その先に筑波山が僅かながら見えているのが分かるでしょうか。近景の住宅に対して,筑波山が遠景となり景観を構成しています。今でこそ見通しがあまり効きませんが,かつては分岐を右折したとたんに筑波山が目の前に大きく出現する印象的な景観だったのでしょうか。





続いてかつての村の東端へと向かっていきます。

台地上に位置する大曽根は,桜川によって浸食・形成された平地に向けて大きく下っていきます。道は先ほどよりも狭まり,落ち着きのある静かな情緒が感じられます。比較的大きな主要道として機能していた県道128号線に対し,ジェーン・ジェイコブスの提唱した小さな街区の必要性に代表されるように,こうした小道の存在は非常に重要です。また,ブロック塀ではなく生垣によって道路と敷地が隔てられている点も印象に残りました。緑の存在と狭まった道幅によって,落ち着いた安心感のある景観が形成されているのです。





最後に台地を下りきったところで素晴らしい光景に出会いました。

県道53号線が頭上を走る大曽根跨道橋のたもとから,なんと筑波山を眺めることができたのです。橋脚によって生み出された窓から見えるその景色はまるで「生けどり」のようでした。「生けどり」とは壁等の工作物で見せたい景を抜粋,強調して象徴化する日本庭園においてみられる技法です。コンクリートの単調な壁が上手く外枠として機能することで,筑波山があたかも絵画のように見えるのでした。意図的なものであるか偶然であるかは定かではありませんが,現代になって生み出された非常に面白い景観であることに間違いありません。



大曽根の今と昔について,実際に現地を歩いてみることでランドスケープの視点から多くの発見を得られたように思います。皆さんもぜひ歩いてみてはどうでしょうか。



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