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<なぜ上郷には理美容店が多いのか?>後編〜謎が解き明かされる?!〜

こんにちは。

筑波大学芸術専門学群デザイン専攻3年の森西和佳子です。


先日、「<なぜ上郷には理美容店が多いのか?>前編」の記事を投稿させていただきました。前編では、上郷にある理美容店を巡り、理容店であるオーノさんにたどり着きました。そして、今回の後編では、ついに、オーノの店主さんのお話から明らかになった上郷に理美容店が多い理由について、お話したいと思います!


理容店オーノの店主さんによると、「なぜ上郷には理美容店が多いのか」という謎について、大きく3つの理由が推測できるということです。



まず、1つ目は政治的な理由です。

店主さんのお話によると、日本では江戸〜明治期に、一里四方(一里は約4キロメートル)に人々が集まり、その単位ごとに商業や産業を盛んに行ったり、人々が暮らしたりする政策があったそうで、その単位の中心が上郷地域にあったそうです。現在の上郷の商店街通りはその名残で、そこを起点に上郷は非常に栄えていたということです。そのため、上郷の街、特に商店街通り沿いに多くの理美容店が集まったということが推測できます。

店主さんが地図には表されていない、かつて存在していた理美容店を鉛筆で記してくれました。上の地図中の△が理容店、◯が美容店、バツ印は現在は既に経営をしていないお店だそうです。店主さんが覚えているだけでも、上郷には近年まで20店舗以上の理美容店があったそうです。

上郷で40年ほどお店を続けているオーノさんによると、昭和二、三十年くらい頃までは上郷にも映画館やパチンコ屋さんが存在していたそうで、今の静けさからは全く想像できない事実ににとても驚いてしまいました。特に映画館は人々が多く集まるような場所にしかないいイメージなのでビックリです。



次に、2つ目の理由は産業的な理由です。

上郷地域は大正時代から昭和初期にかけて養蚕業が盛んな地域であったそうです。上郷には1925年(大正14年)から丸興市場という養蚕集荷場で養蚕が本格的に始まりました。それにより、養蚕業に従事する人が集まったり、町が潤うことにより人口が増加したりしました。このことから、養蚕業により上郷地域の人口が増加し、住民による理美容店の需要が高まったということが推測できます。これにより、上郷地域では多くの理美容店が経営されることとなり、その名残が現在まで残っているということが考えられます。

戦後に養蚕業は衰退してしまいましたが、現在でも丸興市場跡は残っており、蚕のエサである桑の木も残っているところもあります。また、金村別雷神社では、末社に合祀として養蚕神社という神社が祀られていました。これも、上郷地域の養蚕業と何か関係があるのでしょうか?



そして、3つ目の理由は地理的な理由です。

上郷は地域の西側に小貝川が流れていますが、この川によって地理的に土地が東西に分断されています。これにより、小貝川沿いの台地までしか上郷の市街地が発展できず、子貝川の東に市街地が留まったため、理美容店も小貝川の東側に多く集まったのではないかという推測です。

写真は小貝川の様子です。地域を東西に分断しています。



また、今回は理容店と美容店をまとめてお話してしまいましたが、理容と美容はサービスの内容や行えることが違うらしく(免許が違う)、2つを別のものと考えれば、上郷地域にある理美容店の数の多さも妥当なのではないかという店主さんの意見もありました。



以上が今回の調査で明らかとなった上郷理美容店の謎でした。はじめは上郷地域の地図を眺めていたところから始まりましたが、この謎を通して、理美容店のことだけではなく、上郷地域の歴史も知ることができ、非常に有意義で興味深い調査となりました。謎解きに沢山のお時間を割いてくださった理容店オーノの店主さんを始め、上郷地域の皆さんに感謝申し上げます。


それではまた!





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