top of page

〜北条の歴史的空間〜 歩いて見つけた “ランドスケープ”

こんにちは、生命環境学群4年の和田真由子です。


先日、つくば市の北条に行ってきました!


北条といえば、北条大池やつくば道、商店街などが知られているかと思います。

しかし今回は、特に目的を設定せず、北条をぶらぶらしてみました。


まずは、北条商店街駐車場に車を停めて、商店街を歩きます。

昔からあるお店がたくさん並んでいて、なんだか懐かしい気持ちになります。


歩いている途中で、大きな看板を見つけました。

「日本の道百選 つくば道寄り道マップ」だそうです。

マップによると、北条は筑波山神社の門前町として栄えてきた町だと書いてあります。

北条に関して、今までは「レトロな街並み」だとか「飲食店がたくさんある」といったイメージを持っていたのですが、実際に古くからの歴史あるまちだということがわかりました。

どこか感じる「懐かしさ」のようなものは、まちに実際に残っている景観があるからではないでしょうか。


そういうわけで、今回は、北条に残る江戸時代の面影を探しに行きたいと思います。


商店街から南に進んでいくと、少し細い道になりました。


そこで私は、普段は見慣れない景観に出会います。

なんだかこの用水路、ちょっと変わっているなと思いませんか?

よく見ると、道路に対して、明らかに幅が広い感じがしますよね。


実はこの道、実は「多気城」というお城の外堀だったそうなのです。


多気城とは、多気氏6代目の多気義幹が城山に築いた城を指します。

多気氏は平安時代から鎌倉時代初期まで、常陸国の大半を領有するほどの勢力がありました。

6代目の多気義幹は、多気太郎(たけのたろう)と名乗り、北条の町を見下ろす「多気山」(別名:城山)に居城を構えました。多気太郎によって掘られたと言われている農業用水路の裏堀が、現在も用水路として使われているのです。

しかし、多気太郎はこの堀を掘ったことが鎌倉幕府に対して逆心ありとされ、源頼朝の命によって死罪にされてしまいました。

北条の人たちは多気太郎の恩を忘れずに、命日の7月7日には万灯会を催して霊をとむらっているそうです。


少し悲しいお話ですが、そのような古くからある景観が現代にも生かされているのを見ると、なんとも言えない趣深さを感じますね。



お堀の道をさらに進んでいくと、昔からありそうな路地が見えました。

城から放射状に延びる道と、それらを蜘蛛の巣のように結ぶ路地が、城下町であることを感じさせます。

また、道の先には宝篋山が見えました。

道の延長線上に山の頂点がつながっていること、これを「山あて」と言います。

この山あてが偶然なのか、それとも意図して作られたものなのかはわかりませんが、鎌倉時代の人もこの宝篋山を見ていたのであれば、感慨深い気持ちになります。


また大きい路地に戻りました。

商店街のメインストリートを歩くと、つくば道への分岐が見えました。

つくば道は、かつての筑波山参詣道入口で、この道は「日本の道百選」に選ばれています。

徳川三代将軍家光によってつくられたものだそうで、長い歴史を感じさせてくれます。

本当はこのままつくば道を通って筑波山に登りたいところでしたが(笑)、時間がないので今回はここでおしまいにしようかなと思います。


この写真は違う日に撮ったものですが、虹が綺麗だったので載せちゃいます。


皆さんも北条を訪れる際は、ただお散歩してみるのもいいかもしれません。

歩きながら街並みを眺めていると、古くから残されている景観に気付けるのではないでしょうか。

皆さんも、北条に吹く歴史の風を、ぜひ感じてみてください。



参考文献

北条まちづくりポータルサイト「北条のみどころ」https://tsukuba-hojo.jp/highlights/







bottom of page