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古地図で歩く小田“3つの軸に着目して”

こんにちは。人文文化学群3の白石涼馬です。




普段私は歴史地理学について学習しており,過去の地理に触れる機会が多いです。そこで今回は「農研機構農業環境研究部門」によって提供されている明治初期の古地図を基に小田を歩いてみたいと思います。中世から小田城が築城され,真壁道の通過する交通路としても発展してきた小田村の痕跡を歩いて探索していこうと思います。古地図から分かる通り,小田の町には大きく3つの軸が存在しています。はじめに真壁へと向かう軸,次に宝篋山から伸びる軸,最後に村の西端を南北に走る軸です。それぞれについて実際にその痕跡を観察していきましょう。




古地図を見ると,南東から伸びる真壁道は小田村に入る前に一度鍵字型に曲がっています。今でこそ,国道125号線などによって直線的に小田村へ入ることができますが当時はそうはいかなかったのです。交通の要衝ならではの特徴といえるでしょう。ではその痕跡は残っているのでしょうか。写真は右折を終えたのちの場所です。左折をすると小田村に入るのですが,庚申塚が建立されています。松の木も植えられており,今なお玄関口としての役割を全うしているようにも見えます。今日でも痕跡は丁寧に残されていました。続いて宝篋山から伸びる軸を見ていきましょう。




宝篋山から伸びる軸沿いに八坂神社の文字が見えます。この八坂神社は今でも同じ場所に存在しており,境内には児童館や遊具も設けられていました。社殿自体も立派で,本殿には見事な木彫りが施されているのが確認できました。はじめに紹介した真壁道が交通の軸であるのに対して,宝篋山へ続くこの道は信仰の軸であるように感じました。さらにこの両者が重なる曲がり角には,火の見櫓や庚申塚がありました。さらに小田城跡と小田の大きな説明版も設置されており,2つの軸の交点は小田における中心地的な役割を担い続けている場所だと体感できました。




そして西端の軸を歩いていきます。

古地図には竜勝寺や長久寺といった寺院が見られますが,いずれも今日まで続いています。寺院や屋敷の長い塀とその下に設置された開渠の水路が印象的でした。先刻の小田城の説明版と照らし合わせると,この長い水路は外張の排水機能と関わりがありそうです。この塀と水路の軸も当時の名残を残す部分といえるでしょう。ちなみに真壁道の軸との交点はやはり折れ曲がっており,明治期に建てられた道標が残っていました。今でこそ見つけにくい曲がり角ですが,当時は主要な交通路として活躍していたのでしょう。




ここまで古地図に掲載された3つの軸を見て周りましたが,小田城南部を東西に走る道についても見てみましょう。この道に並行して流れる用水路は現在もほぼそのまま同じ場所を流れています。今ではコンクリートによって岸が固められていますが,かつては小田城の堀として機能し,現在でもある機能を果たしています。それは,町と水田との境界です。古地図にみられる通りに今でもほぼ変わることなく,水路の内に町が収まり,外には水田が広がっているのです。この点において,小田は非常に当時の痕跡を残した町であると言えるでしょう。最後に第4の軸を見ていきます。




第4の軸とはズバリ旧筑波鉄道跡です。

現在ではつくばりんりんロードとしてサイクリングロードに活用されていますが,かつては鉄道であり駅もありました。今回取り扱った古地図にこそ掲載されていませんが1900~1930年代にかけての古地図において常陸小田駅と共に現れます。城跡を真っ二つに縦断する大胆な線路は間違いなく大きな痕跡を小田に残しました。今日では,駅跡は案内所として活用され,サイクリングリングロードは城跡を迂回するように走っています。緑の芝生の中に赤いサイクリングロードが伸びる光景は非常に記憶に残る光景です。




ここまで古地図から現在の小田に残る往時の痕跡を探ってきましたが,ほかにもまだまだ興味深い見どころがここには存在します。皆さんもぜひ小田を訪れてみてはいかがでしょうか。

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