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高見原の探索の旅

こんにちは。修士一年の馬丁です。

朝、私たちは高見原に着きました。ここは住宅地区を主にして、たくさんの面白い家があって、生活の息を満たした地方です。



このような寺院を発見しました。寺の名前は向山寺です。



この寺は真玄家醍醐派の寺です。寺は埼玉県にありましたが、茨城県つくば市高見原2丁目11-7に移転しました。建物の階段の下に、ミニチュアのようにうずくまっています。



思いがけない小さな発見がたくさんあります。ここの門からは腰をかがめて入る必要があります。門の両側には二つの石碑が立っています。左側の石碑には「東大峯第一行所」、右側の石碑には「柴燈護摩併所法」が刻まれています。



石畳を踏んでお寺の横から中に入ります。寺の側面から入ると赤い鳥居があります。鳥居には「妙音閣」と刻まれています。鳥居の後ろにお寺があります。




正面には、「辨戝天」を刻んだ石碑があります。



石碑の右側には、蓮華台に座った小さな仏像があります。石碑の後ろには小さな池があります。



池の中にハスの葉と水草があります。縮景の造景方式を利用して、寺の景観を造営しました。池のほとりには剪定された草むらを利用した低木が作られています。右側は背の高い草本で喬木層の景観を作り出します。一平米ほどの池も湖の形をしています。池のうしろに小さな灯龕があります。



ご祭神は弁財天です。弁財天は七福神の一神で殆どのものが宇賀神となる翁姿のものが多いのですが、当寺ものは琵琶を持ち白蛇を纏った美女神となっています。これは弁財天の二つの特「財宝を生むこと」「弁財の財は音楽の才能の才として優れたること」を表して祀られているからです。よって後背には「巳なる金」この場所の鳥居には「妙音閣」と表記されています。しかし、開山の主が妙音であったことから、妙音閣と名づけられたのかもしれません。


お寺なのに神様が祀られていたり、お寺にはあまり出てこない鳥居がここにもあるので気になります。そこで、このお寺について調べてみました。このお寺は真言宗醍醐派に属しています。この派閥は醍醐寺の創建に由来します。醍醐寺は真言宗の修験道を管轄する寺です。

神道の神社と仏教のお寺は宗教が違うので、デザインが違います。神社は神様を祀っていますが、お寺は仏を祀っています。神社には鳥居があり、お寺には鳥居がないのが普通な理由です。鳥居は神の住む神域と人間の住む俗界を結ぶ通路であったという伝説があるため、鳥居は両者を区別する重要な目印にもなっています。しかし、日本では明治期以前に仏教が伝わった後、神仏習合の時期を経て、その時期のお寺や神社の形式が近いようになりました。神仏習合の運動の中で修験道が生まれました。修験道は山岳崇拝と仏教や古代神道が融合して成立した宗教です。だから修験道のお寺には、日本の神々と仏教のブッダが一緒に祀られているのです。


明治元年に神仏分離運動を経て、修験道は禁止されました。その後の「古義八派」の分離独立により、修験道に属していた大真宗は多くの門派に分かれました。1900年真言宗醍醐派が独立します。第二次世界大戦中に政府の要請で小木真言宗と新義真言宗は合併を余儀なくされました。戦後1946年に真言宗醍醐派が大真宗から独立しました。修験道から生まれたのか、真言宗醍醐派にはまだ神仏習合の形が残っています。明治以降に建立されたお寺なのに、お寺と神社の両方の特徴を持っているのかもしれません。


高見原にあるもう一つの神社は金刀比羅神社です。



鳥居から入ると正面に神社が見えます。



神社は大きくありませんが、神社に通じる階段があります。



隣にはこの神社に関する記念碑があります。





修験道と同じように、金毘羅信仰は日本に伝わってから、神と仏の両方を祀っています。神仏分離運動の後、金毘羅大権は廃止され、大物主神を主祭神とする神道の神社となりました。現在でも両方を祀っている神社やお寺があります。



高見原の祭神は大物主神です。1916年に金刀比羅様から分神を迎え、この地の守護神となりました。1984年と1992年に石鳥居が建てられました。


高見原には小さな公園もたくさんあります。

これらの公園の多くは二つの建物に挟まれた小さな空き地です。



ほとんどのアトラクションは老朽化しているようです。



空き地にも雑草が生えていて、あまり使われている様子はありません。



このような密集した地域にもっと良い公園があれば、そこに住む子供たちはより良い生活環境を手に入れることができます。



文章:馬丁

写真:馬丁


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