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神秘的で美しい大曽根

こんにちは。修士一年生の馬丁です。


よく晴れた日、バスに乗って大曽根に行きました。



古民家が多く、田畑が広がっています。古い家は静かにどこかに立って、穏やかな老人のように、遠くの田んぼを眺めています。



ここを歩くと新鮮な歴史の匂いがします。

林の中の小道を歩いているうちに、あるお寺に辿り着きました。



木々の木々に覆われたお寺が目に入りました。ここが千光寺のはずです。千光寺は、もともと慈覚大師が築波郡小田山の宝篋山半岳石上で、千手千眼の大法を修行するために創建されました。建仁元年に八田四郎源知家が再興しました。その後小田城は落城し、千光寺は焼失しました。慶長6年に大曽根に堂宇を再建し中興させました。これが宗派変更の転換点でした。慶安2年には日光山で紫衣免許と御朱印を授与されました。昭和44年に本堂が再建されました。



千光寺の本尊は千手観世音菩薩です。



不動堂でございます。成田山の額がかかっています。



不動明王の仏像が安置されています。



不動明王は密教の五大明王の本尊で、八大明王の首座です。中央に鎮座する明王です。不動明王の「不動」とは、慈悲の心は変わらず、それを動かすものは何もないという意味です。「明」という字には知恵の輝きという意味があります。どんな困難にぶつかっても壁を取り払い、ブレない精神が内包されています。不動明王の像は怒りの表情をしていて、大慈悲の表現です。衆生を侵すものを畏れて遠ざけるためです。親が、意地の悪い子どもに対して、怒りをもって教えているように、動機は破滅ではなく、慈愛です。魔の本当の意味は磨のためで、すなわちすべて外来の障害と苦痛はすべて内の自己の障害と執着から来ます。だから最大の悪魔は自分の内の悪魔で、したがってその教義は外の悪魔を降すのではなくて、知恵で自分の心の魔を降すのです。衆生が修行の途中で菩提心を揺らがないようにするのです。だから、苦しみに邪魔された人たちが、よく不動堂に助けを求めてきます。



不動堂の左側が本堂です。これが昭和44年に再建された本堂です。本堂の前にはきれいに手入れされた低木が一つ一つうずくまっています。松が一本、植え込みの中から、斜めに身を乗り出しています。非対称的な環境設計が庭に面白さを与えています。



本堂の真ん中の床には「浄戝」の額が置かれています。



庭の右側は石仏郡です。時を経て彫像の細部がよく見えなくなりました。ずらりと並んだ石仏は、ひしめくようにひっそりとひっそりと佇んでいて、まるで墓石のように不気味です。



ここの住人には面白い昔話があります。この寺の中興以前の第22代住職は頭白上人という住職でした。言い伝えでは、頭白上人はお墓の中で幽霊に育てられ、生まれたときから髪の毛が白いとされていますが、白は日本では神や死につながる神秘的な色とされています。後ろの白上人は母の供養のために五輪塔を建てました。後小田城主は供養地で無礼を働き、頭白上人と沖突しました。その後小田城主は多くの土地の人を殺し、頭白上人も恨みを抱いて死んでしまいました。やがて頭白上人という転生者が生まれ、戦いで小田氏治を殺して小田城を奪います。



噂が本当かどうかはわかりませんが、顔を上げると、白頭の子猫が私たちと顔を見合わせ、くるりと踵を返して霊園の中に消えていきました。



さらに歩いていくと、茂みの中に銅像が見えました。



そばの石碑には「拝仰崇信——根本伝教大師宗像」と刻まれています。大師は左手に数珠を持ち、右手に巻紙を持っています。



千光寺を出て、のろのろと田んぼに出ました。



大曽根から若森まで歩いてきました。




この小道に立つと、目の前には緑豊かな田んぼが広がり、その向こうには築波山の景色が広がっています。



広々とした景色は気持ちがいいです。



森を抜けて、ひっそりとした道を歩いていると、鹿島神社が見えてきます。神社は森の中に隠れて神秘感を増しています。



鹿島神社の隣には保険医療機関があります。私がデザインを行う場所でもあります。将来的にはカフェや園芸療法を行うための場所ができるかもしれません。うまくできたら、ぜひ体験していただきたいですね。


文章:馬丁

写真:馬丁

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