こんにちは。理工学群4年の畑山公希です。私は歴史的な町並みが残る北条という地域に行きました。
入り口はこのような感じでした。北条を訪れるのはこれが2回目でしたが、前回は筑波山から移動してきたため、この風景は初めて見ました。また、前回はただ町並みを見ただけでしたので、今回はどのような発見があるのかという期待がありました。看板には「ようこそ北条へ」「やさしさが行き交う町」と書いてありました。ここまではバスで来たのですが、本数はあまりなく、あまり公共交通の利便性は高くないと感じましたが、利用者もあまり多くなさそうでしたので現状のままで十分かとも思いました。
北条の町並みについてなどは二つ目の記事に書くとして、この記事では私が訪れた旧矢中邸の庭園について中心に述べていこうと思います。
旧矢中邸は建材研究者である矢中龍次郎氏によって、15年をかけて建設された邸宅です。約770坪の広大な敷地内に本館、別館の建造物が現存し、その周囲には庭園が広がっています。
建築の背景には、矢中氏の「永年の研究、発明成果を適用し、木造のモデル住宅を作る」という想いと、「皇族が休息できる迎賓空間を設える」という意図があったようです。二つ目の記事で詳しく書きますが、このように歴史的に価値のある建築物をただ保存するだけでなく、活用するという取り組みは難しく、そのような取り組みを積極的に行っている点でも素晴らしさを感じました。そして、前述の通り旧矢中邸には庭園があるのですが、その庭園には滝、小さな池、水路があった形跡があります。これは自然のものではなくて、人工的につくられたもののようです。旧矢中邸が廃屋状態になってから保存・活用への活動がなされるまでの年月によって水路などが埋もれてしまったことで現在は水の流れを見ることはできませんが、滝の部分には青い石を使うなど見た目にこだわったつくりが見られました。さらに、見た目にも関わってくるのですが、庭園に使われている石の質などにもこだわっており、縁側から庭に出るとき、靴の履き替えに使う石は京都の鞍馬石をわざわざ使っており、栃木の大谷石も以前走っていた筑波鉄道の専用列車で取り寄せて庭に取り入れていたようです。最も驚いたのは庭園の入り口に置かれている佐渡の赤石です。これは新潟県の佐渡でしかとれない石であり、現在は佐渡から持ち出すことはできないものです。当時も家が建つほどの値段で取り寄せたものだったようです。矢中氏は建築材料の研究家でありましたが、このように庭園にもこだわっていたのは自身のためというよりも皇族などの来賓の方のためであったのかもしれないと感じました。
庭園には当然のように石畳が敷かれておりました。一見すると縁側から見える庭園は終わっているように思えたのですが、奥の方まで石畳が続いていましたので許可を得ておくまで行ってみるとこのような景色が見えました。これは筑波山です。現在、建物や電線などが若干、視界を遮ってはいますが、当時は庭園を抜けた先でこの景色を見ながら過ごすこともできたと考えられます。ここはちょっとした広場のようになっており、後からつくられたものかもしれませんが、切られた木の幹が複数あって座ることもできそうでした。水路の水源も近くにあったので当時は視覚と聴覚の両方で楽しむことができる場所であった考えられます。
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