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"暮らしを考え続けた男"の一つの答え 北条・矢中の杜

こんにちは。人文・文化学群2年の飯田康幹です。


つくば市の北部の古い街、北条。その少し奥まったところに、壁の黄色の鮮やかな家があります。「矢中の杜」、ここには暮らしを考え続けた男の、一つの答えが示されています。


この屋敷の主だった矢中龍二郎氏は、貿易商から独学で研究し、セメント用防水材「マノール」を開発します。そのほかにも様々な建築などの研究を行った氏は、昭和13年、生まれ故郷の北条、その生家の裏を買い取り新たな邸宅を建設しました。そして、その建物はただ立派なだけでなく彼なりの哲学とともに建てられた、実験場としての役割も担いました。

特に気にしたのは、湿気でした。日本の木造住宅にとって湿気が一番の大敵であると考えた彼は、特に換気構造に気を遣いました。これは屋敷の玄関ですが、天井に見える穴から熱気が逃げていくように作られています。そしてガラス戸の奥に見える木枠は石造りの地下室につながっています。そこからのひんやりとした風が入ってきて、部屋を涼しくしているのです。夏でもどこか過ごしやすい、こうしたエアコンや換気扇いらずの換気システムが、思わぬ形でも働きます。矢中氏の亡き後、邸宅はほぼ空き家のまま40年間残されていましたが、ほとんど劣化がなかったのです。


本館 暮らしの工夫

本館は地下室付きの平屋建てで、いかにも日本家屋的な趣が漂います。家具や指物はすべてが丹念に作られており、当時の匠たちの技術を存分に感じられます。特に障子は、雪見障子になっている場所の開くところの枠の部分だけ細く作ることで一見開口部に見えない造りになっていて、細やかな技が光っています。この写真は北に向かって映していますが、南にも窓があり風通しも抜群です(その分冬は少し寒いそうですが)。また、座卓の上には建設当時の写真などが置いてあり、それによれば建設当時はこの部屋から遠く筑波山を借景とした庭園が望めたそうです。

書斎。矢中氏がよく過ごしたというこの部屋は、和洋折衷のテイストが感じられます。かつては畳の上にじゅうたんを敷くこともあったというこの部屋では、椅子が床を傷つけないように椅子に横板をつけて、重さを分散させています。また、書斎という長く過ごす場所ゆえ、広く感じさせるための工夫が天井に施されています。斜めに入った桟が、本来平面の天井の中心を高く見せているのです。こうした工夫は他の部屋でも出てきます。

また、矢中の杜を語るうえで部屋の芸術は外せません。この部屋の障子絵は雪の結晶。実は、玄関が春、居間が夏、書斎の奥の座敷が秋、そしてこの部屋が冬というように部屋には四季が再現されているのです。これらの絵は画家・南部春邦によるもので、彼の作品は建物のそこかしこに残ります。


一見純和風家屋に見える本館ですが、屋根を見るとコンクリート造りの家のような、平たい屋根になっています。実はこれは「矢中式陸屋根(ろくやね)」という構造で、彼の研究成果であるセメント用防水材「マノール」が使われたものになっています。それまで建築界では木造住宅をこのような屋根で作るのは難しいとされていましたが、自らの研究とマノールの利用により彼は実現させました。また、先ほどから特徴的な壁の黄色も矢中氏の開発したセメント用黄色着色材「山富貴酸化黄」を使っており、さしずめここは矢中氏の実験場ともいえます。


別館 もてなしの工夫

本館の奥に進むと、コンクリート・木造複合の別館が現れます。矢中氏が皇族も呼べるようにしたいと考えた建物は、本館とは少し雰囲気が異なっています。入ったところにある納戸の扉はどこか中国風。矢中氏は戦前満州で過ごしていたこともあり、その際に気に入っていたのではないかといわれています。漆塗りの光沢が高級感を演出します。


その奥は食堂。少し西洋風にも見えます。窓際にある棚の天板は、5メートル以上あるサクラの一枚板。サクラという木はうねっているため、このような一枚板を伐り出すことは非常に困難ですが、一枚板ならではの木目の美しさは必見です。また、鴨居の上には日光、瀬戸内海、雲仙など国内の様々な景勝地を描いた絵がぐるりと一周飾られているほか、ここからは見えませんが南部氏の襖絵もあります。ちなみに奥に見えるポスターは昨年放送されたNHKの連続テレビ小説「エール」のもの。ここでも撮影がされたそうです。


その上は応接間、こちらは二間を西洋風と和風に区切っています。どちらの部屋も、西洋風の方は桟、和風の方は格天井の木目を斜めに配置することで本館の書斎同様天井を広く見せようと工夫しています。また、それぞれの部屋に飾られた絵の額の布がもう一方の部屋の襖に使われるなど、二つの部屋の統一性もみられています。現在、別館は貸しスペースとしても利用されていますが、東日本大震災の影響で歪みがみられることから補強が行われたそうです。


矢中氏は、決して建築だけにこだわった人物ではありませんでした。

様々なことに興味を示し、衣食住に触れた著書もあります。なかでも「長寿枕」と題して、袋状の枕が一般的な時代に頭の形の合う立体構造の枕を開発し、こうした枕の端緒となりました。

また、建築時も技術の継承を目的に地元北条の大工にも作業をさせたり、先ほどの南部春邦氏などの絵を取り入れたりと多方面への気づかいや工夫がみられます。ここでは紹介できませんでしたが水回りの湿気が逃げやすいような格子の位置など、見えるものから見えないものまで造りが突き詰められているのです。

彼にとって、それだけ故郷に錦を飾るという意識が大きかったのでしょう。暮らしを考え続けた男が貫いたその理念は、現代的な建築に住む我々に暮らしの大切さを問いかけてくるようにさえ感じます。


現在、矢中の杜はNPO法人により管理され、定期的に解放されています(有料)。今回の見学では、本来コロナの影響で一般公開が不可能なものを杜の風通しも兼ねて特別に開けてくださいました。この場を借りて改めて御礼申し上げます。


矢中の杜

茨城県つくば市北条94-1

TEL 090-6303-4531


参考資料

マノール(株) マノールの歴史

http://www.manol.co.jp/about/history/ 2021年9月1日確認

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