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s2010914

川口公園はなぜつくられた?

こんにちは。理工学群社会工学類2年の早坂遼です。

この記事では、つくば市の西部にある上郷地区内の川口公園について、この成り立ちの経緯について考えてみたいと思います。


そもそも川口公園とは

川口公園とは、つくば市上郷3190に所在する公園で、つくば市と常総市を隔てる小貝川の近くにあります。

アクセスは、つくバス西部シャトルの「川口公園入口」バス停から徒歩2分、もしくは上郷シャトルの「上郷」バス停から徒歩8分、あるいはTX万博記念公園駅から北西方向に車で15分となっています。

公園の地図はこの写真のようになっており、広さは5ヘクタールと、かなり広々と感じられる公園となっています。公園の内部に関しても、公園として整備されているだけあって緑が豊かであると同時に、公園内に池や水路、それらと交差する橋があったり、園内の地点の名称に、「泉」や「滝」など水と関連する漢字が複数使われたりしていることから、水とも親和性の高い公園になっていると分かります。公園が水を感じられるような設計となっている理由は、公園やその一帯が整備された背景を見ることで明らかになるので、次はそれについて見ていきたいと思います。

なお、本記事とは別角度から、公園周辺にあった興味深い風景について取り上げる記事も公開しておりますので、よろしければそちらもご覧ください。


公園周辺が整備された経緯 ~資料から~

まずは、公園やその周辺にあった資料を基に考えていきます。ここでは、現地にあった2つの資料を参考にします。

この写真は、1枚目の写真でいうB地点付近にある看板を撮ったもので、このエリアが含まれている筑波山地域ジオパークについてと、小貝川やこの地域がどのように成り立ってきたのかが説明されています。解説文によれば、小貝川は、以前は蛇行して流れていたので、たびたび水害を起こしきたのと同時に、氾濫のときに生じた大量の土砂は独特の地形とそれに呼応した文化を生み出した、とあります。そして現在地を示した右側の地図を見ると、川口公園は小貝川によってできた自然堤防の外側にあたる部分につくられていることが分かります。蛇行河川の跡についてよく分かる地点があったので、後々紹介したいと思います。

この写真は、公園の西側にある出口から川口揚水機場【記事末尾に補足あり】方面に向かうと見つかる記念碑で、この地域一帯がどのように整備されたのかの説明と、関係者への感謝、さらに「稲や作物などが、つやつやと勢いよく成長するさま」を意味する禾黍油油という四字熟語が掲げられています。説明文によれば、かつてこの場所は大きな湿地帯であり、大雨が降ったら余分な水がはけないことによる湛水(たんすい)被害を、一方で日照りが続いたら旱害による被害を被ってきたので、戦後に入って土地改良が行われた、とあります。しかし、その設備の老朽化と緯度の水位低下が問題となり、「県営土地改良総合整備事業川口地区」として再度の近代化が行われ、この施設は2001年に竣工したということです。なおこのような整備の過程は、古地図と照合することで確認できます[1]。


公園周辺が整備された経緯 ~現場から~

続いて、現地で撮ってきた写真を基に、これまでに分かったことの確認と掘り下げを行います。

この写真は、2枚目の写真に写っている地図の中でいう、北側にある「旧河道」の部分を撮ったもので、現在は本流と切り離されていることから三日月状の湖となっています。写真右奥に見えている、緑色で囲った台地状の部分が、現在の小貝川の堤防で、画面の右から左に流れています。しかし、写真に写っている三日月湖には川の流れている様子はなく、本流とは切り離されていることがうかがえました。ここまで見てきたような、河川が生み出す地形というのは、高校生の頃に地理の授業で習うものですが、近くに事例がなくピンときていなかった節があります。今回の探索で、遅ればせながら頭に入ったように感じられました。

この写真は、記念碑近くの農道から公園方向を撮った写真で、右側に川口公園の管理棟や駐車場に駐まっている車(青色の〇)が、左側の奥には住宅地(赤色の〇)が見えており、その手前には田んぼが一帯に広がっています。撮影方向と反対側に小貝川が流れていることを考えれば、小貝川に近い田んぼや川口公園は低い土地にあるのに対し、小貝川から離れている住宅地がある部分は高地になっていると読み取れます。つまり、川口公園の整備によって、氾濫が起きたらどこが危険なのかを明確にするという、防災上の役割があるのではないかと考えました。実際、つくば市のハザードマップによれば、川口公園周辺では3~5mの浸水が予想されていることから、河川の状態には留意すべき地域であると分かります[2]。

なお、川口公園は「指定緊急避難所=命を守るために緊急的に避難する場所」として指定されていますが、これは指定避難所とは異なり、災害の危険性がなくなるまで必要な期間滞在するというわけではありません[3]。前の写真の右下にも書いてあるように、この地域の避難場所は、より高台にある上郷小学校が指定されています。


まとめ

ここまでお読み頂きありがとうございました。

川口公園が水と親和性が高かったのは、以前はこの地帯が湿地だったという痕跡としての役割があるのではないか、ということが結果として考えられると思います。

なお今回の記事では、川口公園を(比較的)客観的に見てきたのですが、個人的に面白いと思った風景もいくつかありました。次の記事では、これについて取り上げてみたいと思いますので、良ければ「関連記事」よりご覧ください。


補足

3枚目の写真の記念碑が建っている場所について、補足事項があります。

本文では、現地に掲げられていたプレートに則り「川口揚水機場」と書きましたが、Google Map[4]と記念碑の文章中では「川口用排水機場」と記されています。どちらの表記が正しいのか確証がなかったため、このような形で併記しました。


参考文献 いずれも2021/8/31閲覧

[3]国土地理院:指定緊急避難場所データ

[4]Google:Google Map


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