こんにちは。理工学群社会工学類2年の堀口英里子です。
新型コロナウィルス感染拡大の影響で、先日ついに茨城県にも緊急事態宣言が発令されたことで、ささやかな日常生活を営むことですら困難になってきました。そんな中でのこのブログ執筆ということで、気軽に飲食店などに入ることが憚られたため、私は今回春日神社を取り上げさせていただきました。
まずは春日神社の場所から。私は車で上郷を散策したのですが、春日神社は茨城県道24号線を西に向かって進んでいって左側に少し入っていったところにあります。車一台がやっと通れるほどの道を進んでゆくと、たくさんの太陽光パネルの先に美しい朱色の拝殿が見えてきます。車を止められる専用の駐車場のようなものはないため、立ち往生している私に付近で収穫作業をしていた男性が、そこは車が通ることがあるからこっちに止めていいよ、と言ってくださり、ゆっくりと参拝することができました。人の優しさも上郷の魅力かもしれません。
男性にお礼を言って、車を降りるとまず見えたのは木の中に少し隠れた春日神社という石碑です。少し坂道になっていて、参道は意外と長めでした。
灯籠や木の間を進んでいくとまず立派な鳥居が現れます。坂道や木々に隠れて見えなかった分、突然現れる灯籠や鳥居には形容し難い威厳のようなものがありました。神社に参拝する方は、鳥居をくぐる際神様に御辞儀をしましょう。
拝殿へと進んでいると、私の前をひらひらとクロアゲハが通り過ぎ、とても驚きました。すぐにクロアゲハの向かった先を探しましたが、姿を眩ませられてしまい写真に収めることはできませんでした。後から調べたところによると、古くから日本では蝶は魂を乗せるものと言われており、中でもクロアゲハは神仏を乗せると言われているそうです。美しいクロアゲハに出逢いに春日神社を訪れるというのも、いいかもしれません。
凛々しい狛犬の先には朱色の本殿があります。本当に美しい赤で、格子の中にちらりと覗く狐の神使がなんとも言えない緊張感を持っていました。
春日神社は、平高望の子である平良文が東国鎮守府将軍に任ぜられて下向の折に、藤原春信がこれに随従し、豊田城の鬼門除けとして承年元年に奈良の春日神社の分霊と勧請したことが始まりです。木造の写野の腐敗により江戸時代に大修繕がなされたが、再び平成14年に修繕がなされ、現在の姿となっています。
本殿の奥にはつくば市指定考古資料に指定されている、板碑が立っています。こちらは筑波地方産出の雲母片岩製で「雨乞石」とも呼ばれています。元は八龍神の地にあったそうで、七言の詩偈と日天、月天などの雨に関わる新物の名が刻まれています。実際の石碑に刻まれた文字を確認することは難しいですが、それは旱魃の際に小見川にかつぎ入れて雨乞い祈願を行っていたからでしょう。こちらもこの地方の歴史を感じることができる石碑でした。
春日神社は決して大きくて目立つような神社ではありませんでしたが、立派に豊田城下を守り続ける真っ赤な社殿に、この上郷地区の歴史を感じながら心洗われる体験が出来ました。ぜひ皆さんも参拝してみてはいかがでしょうか。
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