こんにちは。理工学群社会工学類2年の竹内真雄です。
2021年9月,つくば市栄地区で「おすすめ1日お出かけプラン」をもとに散策してきたので,栄の魅力や感じたことについてお伝えしたいと思います.
なお,緊急事態宣言や非常事態宣言の要請・措置に基づき,お出かけプランの原案から変更せざるを得なかった部分もありますので予めご了承ください.
目次
- 栄の町並みをお散歩(松栄団地・農村集落の景観)
- JA直売所で野菜を購入 - 栄の町並みをお散歩(長屋門を探そう) - 蔵日和カフェでお土産用のパンを購入 - 金田城跡を特別見学
つくばセンターからつくバスで栄へ,松栄団地下車
つくばセンター(TXつくば駅)からつくバス・小田シャトルに乗車し,スタートです.
栄地区は,ここから北東に4kmほどの場所にあります.
発車して4分ほどで,研究学園都市から桜の旧市街地に入っていきます.桜窓口センターを過ぎてしばらくすると,バスは台地から桜川の低地に下り,目の前に田園地帯が広がります.つくばセンターから約18分,松栄(しょうえい)団地に到着しました.
今回歩いた道のりです↓
栄の中心市街地は通りませんでしたが,農村の生活や地域の歴史を垣間見ることができる,充実したコースになっています.
出典 Googleマップ(https://www.google.com/maps/)
出発は松栄団地バス停,ゴールは金田西(こんだにし)バス停です.
まずは,松栄団地から松塚(まつづか),大(おお)の農村部を歩きながら,JAつくば市桜農産物直売所を目指します.
栄の町並みをお散歩
・松栄団地
まずは松栄団地の中を歩いていきます.
松栄団地は,旧宅地造成法により1973年に建設された住宅団地です.旧宅地造成法に基づく団地(旧宅団地)は,現在用いられている開発の指標である都市計画区域(市街化区域と市街化調整区域)が定められる以前に,地方自治体による認可により造成することができました.今で言う市街化区域だけでなく,中心市街地から離れた農村集落の中でも認められるケースもありました.
一般的に旧宅団地は,近年の高齢化やインフラの劣化などにより維持管理が厳しい状況にあります.
松栄団地の総戸数は189戸ですが,航空写真を見ると少なくとも22区画が更地となっています.
ただ,松栄団地は後に市街化区域に指定されたほか,つくバスも乗り入れてくるため,市内末端部の他の旧宅団地に比べれば状態が良いと言えるでしょう.
・農村集落の景観
松栄団地を後にし,南東方向に進みます.まず最初に畑地が現れ,北側には筑波山地が見渡せました.左奥の筑波山は雲の中で,手前に左から宝篋山(ほうきょうさん),小町山,雪入山(ゆきいりやま)などが見えます.
続いて,松塚の集落に足を踏み入れます.民家は塀と広い庭を持つ農家が中心で,それに混じって一般住宅や神社・寺院が点在しています.
いかにも常陸の農村というような風景ですね.
訪れたのは9月上旬.水田の稲穂は区画によって収穫の時期に若干差があるようで,刈り取られているものもあれば,まだ緑色が残るものもありました.
手前ほど成長が早かった区画です.3色になっていて綺麗ですね.
奥には土浦市中心部のタワーマンションや紅白の電波塔が見えます.これらをどう見るかは皆さんそれぞれだと思いますが,個人的には遠くに見える分にはアクセントになって格好いいと思います.晴れていればもっと映えたと思うので,別な時期にでもまた来たいです.
農地は,畑地と水田だけでありません.
細長い小屋を見つけましたが,中にいるのは...?
丸々と太った雄牛です!あの有名な常陸牛でしょうか.
こんなに身近なところで牛を飼っているとは,驚きでした.
栄地区を歩くと,街が中心市街地と農村集落に分かれていることに気づきます.(中心市街地はロゲイニングのときに歩きました)
栄地区周辺は,古くから農地が中心でした.
ところが江戸時代になると,土浦藩によって土浦から一ノ矢八坂神社(つくば市玉取)へ参詣するために「一の矢道」という街道が設けられ,栄地区には宿場や茶屋が置かれました.
一方で明治維新後,農業だけでは生活に困窮する人が続出.宿場などで賑わっていた一の矢道沿いに店を構え,生活必需品を売り始めます.
こうして,現在の栄の中心市街地が形成されているのです.
栄の農村集落の景観は,さらに2種類に分けることができます.
一つは,この松塚や大のように,ある程度の範囲の中に不規則に農家が立地し,それらをつなぐように曲がりくねった道路ができているタイプです.これは塊村(かいそん)と呼ばれ,集落が自然に形成されていった可能性を示唆しています.
もう一つは,蔵日和などが位置する金田(下図)など,一本の太い道路に沿うように農家が並んでいるタイプです.これは路村(ろそん)といい,道路ができた後に規則的に農家が立地したことを意味しています.
金田の中心を通る道路は,元々江戸時代につくば市の谷田部と石岡市の柿岡を結んだ「上人(しょうにん)道」で,その名の通りお寺の関係者が往来していたそうです.つくば市内の上人道沿いには,金田以外でも刈間など路村が残っている地区があります.
なお,どちらのタイプも,集落と農地は概ね分かれています.
東京の郊外部などに行くと,農地の真ん中に小規模住宅地が開発された無秩序な市街地(スプロール市街地)が広がっていますが,栄では適切な都市計画のおかげでそのような事態は避けられていると言えるでしょう.
JA直売所で野菜を購入
さて,桜農産物直売所までやってきました.
ここでは,おもにつくば市内で採れた野菜や果物,お米などを手ごろな価格で販売しています.一袋の量は多いですが,作り置きをするときなどは便利そうです.
筆者はつくば市に住んでいますが,つくばの野菜を買って食べることはほとんどありませんでした.
改めて,自分の住んでいるまちで採れた野菜を味わってみたいと思います.
パプリカとつる菜を購入しました.
パプリカは,赤の他に白と紫のものが入っています.地味な色のパプリカは初めて見ました.そしてつる菜は,パプリカと比べてもこの量の多さ.お得感があります.
前者は炒め物,後者は味噌汁でいただきました.
地元の食材を使うと,自然と地域に対する愛着が湧いてきます.
栄の町並みをお散歩(続き)
・長屋門を探そう
桜農産物直売所を後にして,再び農村集落の中を歩きます.
今度は,農家の入口にある長屋門に着目してみたいと思います.
長屋門は,江戸時代に武家住宅の門として普及し始めました.
道路と平行に横長の長屋門は防火の役割を果たし,その中に家臣を住まわせたそうです.
では,なぜ農家で見られるようになったのでしょうか.
実は,農家の長屋門は中世から存在していたのですが,江戸時代になると高貴なものとなり,一時は武士などの特定身分以外では建設が禁止されてしまいます.
しかし幕末になると,各藩は経営を安定させるために,裕福な農家などに長屋門の建設を許可し,その引き換えにお金を集めるようになったということです.
つまり,農家が長屋門を持っているということは,それ相応の力があるという証拠なのです.
こちらの長屋門は,両脇に生け垣がついているだけではなく,長屋門をくぐった先,母屋の手前にもう一つ小さな門がありました.いやぁ,立派ですね...
蔵日和カフェで お土産用のパンを購入
長屋門を見た後は,つくバス・金田東バス停前にあるベーカリーカフェ「蔵日和」でパンをテイクアウトすることにします.
この「蔵日和」とそれに隣接するイタリアンレストラン「藤右ェ門」は,古民家の敷地と建物を有効活用してつくられています.
こちらの門も風格がありました.
ちょうどお昼時で賑わっていたので,10分ほど並んでようやく入店できました.
購入したのは,こちら↓
手前は左から団子パン(芋あんパン・あんパン・クリームパンの3連),さつまいもが入ったパン,奥がパンの耳です.
どれも素材の味がして美味しかったです.
金田城跡を特別見学
さて,続いてはお待ちかねの城跡見学です.
まずは,金田城について軽くご説明します.
金田城は,鎌倉幕府が成立する直前の1183年に栗原(のち沼尻)又五郎信季によって築城されました.城主の沼尻氏は,当時この地域を支配していた小田氏の幕下に位置付けられ,1574年に小田氏が滅亡するまで金田城を拠点としていました.
城郭は,栄地区が位置する桜川沿いの低地と,筑波研究学園都市がある常総台地の境界部に位置しており,堀や土塁などは台地の突端の地形を利用して造られています.
なお,金田城が築かれる以前も,この付近の台地上には「金田官衙(かんが)」など,地域を統括する施設が置かれていました.
普段は入口付近に鎖がかかっており中に入ることはできませんが,今回は特別につくば市の公園施設課および文化財課の許可をいただいて,見学することができました.
入口は低地部側にあります.閉店してしまった料亭「つくば館山城」の看板の50mほど北側に,城跡の中へ至る細い道があります.
ここからは虫が多いので,長袖長ズボン+帽子+虫除けのフル装備で入城します.
少し坂を上ったところに鎖がかかっていますが,許可をいただいているのでさらに奥へ行ってみましょう.スズメバチやマムシがいないか確かめながら,慎重に進みます.
ここもまた急な上り坂.重要遺跡調査報告書の復原図を参照すると,この坂が主郭(城の中枢部分)への入口,虎口(こぐち)とみられます.
現役時代は,坂の両脇に弓を持った兵士がいたのでしょうか.
頂上まで上っていくと...
目の前が開けました!
金田城の主郭です.
ここに沼尻氏のお屋敷があったとみられます.
主郭の周囲には堀がめぐっており,現在も残っているようです.
しかし...
今上ってきた虎口以外は木や笹が生い茂り,とても足を踏み入れられるような雰囲気ではありませんでした.
せっかくなので堀も見てみたかったのですが,断念しました.
お城と言えば,姫路城のように石垣や建物が保存されているものを想像しがちですが,廃城の後,自然の手に任せてこのようなワイルドな姿になった城跡を見るのも,一味違った魅力があります.
500年以上前,沼尻氏がここに居を構えて生活していたことを思い浮かべ,現在の景色を見ると,人の暮らしのはかなさと,自然や時間の力強さを実感します.
金田西からつくばセンターへ
そろそろ旅も終わりに近づいてきました.
金田城跡を無事見学し終え,つくバスの金田西バス停に向かいます.
バス停の横には,金田池があります.
水面には蓮が浮かんでいます.魚が捕れるようで,釣り糸を垂らしてる方がいました.
ゆったりとした時間が流れていますね.
バスは約25分待ちでしたが,風に吹かれながら揺れる水面を見つめているとあっという間でした.
ゴール!
つくばセンターに帰ってきました.
現地ではすべて徒歩で巡った今回の旅,歩けば歩くほど新しい出会いや発見がありました.
ここで紹介した以外にも,場所によって異なる農作物を手前に筑波山地を眺めてみたり,はたまた道端で季節の草花やおもしろい看板を見つけたり,楽しさは尽きません.
栄のおすすめ1日お出かけプラン,いかがでしたか?
この記事を通して,R8地域の魅力を知り,少しでも身近に感じていただけたら嬉しいです
そして,「おすすめ1日お出かけプラン」を参考に,感染状況が落ち着いたら是非足を運んでみてください.
筆者はこの記事を書くにあたって,つくば市の中心部とR8地域を「つなぐ」ことを意識しました.
スタートとゴールをつくばセンターにしたのもこのためです.
両地域の方々の間で交流が生まれ,互いの地域を活性化し合うきっかけにするとともに,皆さん自身が新たな発見をして,より楽しんでいただければ何よりです.
盛りだくさんになってしまいましたが,最後までご覧いただきありがとうございました.
参考文献
・桜村史編さん委員会(1982).桜村史(上巻).桜村教育委員会
・桜村史編さん委員会(1983).桜村史(下巻).桜村教育委員会
・阿武敦子,大月敏雄,深見かほり(2017).農村部の長屋門の成立過程と利用の変遷に関する研究ー茨城県県央の事例を通してー.日本建築学会計画系論文集.第82巻.第736号.
・茨城県教育庁文化課(1985).金田城跡.重要遺跡調査報告書Ⅱ.茨城県教育委員会.
・藤井さやか,吉田友彦(2017).高齢化する市街化調整区域内住宅団地の土地利用規制制約の実態と柔軟化に関する研究.2015年度研究結果報告一覧.三井住友海上福祉財団.https://www.ms-ins.com/welfare/document/list/pdf/2015/2015_2_17.pdf
・衆議院(1964).法律第百六十号◎住宅地造成事業に関する法律.https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/houritsu/04619640709160.htm
・山本正三,高橋伸夫,中川正,橋本雄一,芳賀博文,鹿嶋洋,側島康子(1992).筑波研究学園都市の土地利用.地域調査報告.筑波大学地球科学系人文地理学研究グループ.http://www.geoenv.tsukuba.ac.jp/~chicho/pub/WWW/hrg/chicho/chicho14.html
・つくば市.市街化調整区域内の開発行為.土地利用.最終閲覧2021.9.13
https://www.city.tsukuba.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/004/178/1-6-2-1genkyou.pdf
・湯梨浜町.集村と散村.Web版東郷町史.最終閲覧2021.9.13
https://www.yurihama.jp/town_history2/1hen/2syo/02010000.htm
Yorumlar