「江戸時代の時計を復刻!その経緯と今後の構想を現地取材」

こんにちは。芸術専門学群2年の山下采夏です。

今回は、つくば市谷田部にある、江戸時代の時計を復刻した「和時計」について書いていこうと思います。



和時計のあるつくば市谷田部郷土資料館に行ってみた!しかし・・・。


 つくば市谷田部には、江戸時代の「和時計」を復刻した時計があります。現在は、「つくば市谷田部郷土資料館」に展示されているようなのですが、行ってみたのですがなんと、茨城県の緊急事態宣中は郷土資料館は閉館とのことで、中にはいって実物を見ることはできませんでした。この資料館には郷土の文化財や、遺物、古文書の歴史文書などの様々なものが展示されているようです。中でも、今回取り上げる「からくり伊賀」と呼ばれた江戸時代の和時計を復刻したものが目玉となっています。せっかく行ったのに、実物を見ることができなくて残念!緊急事態宣言明けにもう一度行ってみようと思います。


代わりに見てきた!「史跡 五角堂と和時計」


  郷土資料館が閉館していてどうしようかと思っていたところ、調べてみると、郷土資料館から車で3分くらいのところに、実際の和時計があった史跡があるとの情報が。その史跡に行ってみると、なんと、一般の方のお家の敷地内でした。そこに住んでいるのは、江戸時代にその和時計を作った張本人、飯塚伊賀七のご子孫だということです。史跡ということで訪れてみると奥でご子孫の方が普通に生活していらして、ちょっとびっくりしました。和時計があったと思われる倉庫を見させてもらうと、時計があった跡がありました。現在はそれらが丸ごとつくば市谷田部郷土資料館の方に移動して展示してあるようです。




 こちらがその史跡の門構えです。さすが茨城県教育委員会から指定された“いばらきの文化財”だけあって、とっても立派!五角堂は門の右側にある、中心の高さが6m、一辺4.6mの正五角形の建物です。五角堂と和時計は、江戸時代に、民間の科学者であった飯塚伊賀七が発明したものです。発明者の伊賀七は、「からくりの伊賀七」という愛称で人々から親しまれ、数理に明るく、発明に熱心な人物だったそうです。時計は1817年ごろから作られたという一説があるから、この飯塚さんのご自宅は築200年を超えているのか…?とっても歴史を感じる風貌でした。




 史跡ということで、看板に細かい資料が掲載されていました。資料によると、当時は二階建ての時計台もあったのだが、残念ながらその時計台は現存していない。長い間継がれてきたが、築200年の際に破損がひどく、解体に至ったようだが、五角堂に残っていた部品から、和時計の一部を復元できたとのこと。調べてみると、和時計の原動力はバネのついた糸巻車が取り付くようになっていて、砂か石でできた重りをそこに吊るしていたと推測されている。文字盤は、1日に一回転する「百刻文字盤」と、季節ごとに交代する「節板式文字盤」の二つがあり、さらに、100ヶ月先まで表示できる装置もあったらしく、時計とカレンダーが一体になっていたと言える。江戸時代にこのような時計を発明したなんて、すごい…。




https://ja.wikipedia.org/wiki/五角堂 より引用)

 実際にはこのような和時計が展示されているようである。写真で見ても、とっても大きい!今後は、つくば市に残るいばらきの文化財として、一度壊れた江戸時代の和時計を再び長くみんなに親しまれながら受け継いでもらいたいとのこと。現在は9月12日まで(予定)つくば市谷田部郷土資料館は閉館とのことですが、五角堂と和時計の史跡は(個人のお宅であることに配慮した上で)いつでも見ることができます。今から200年以上も前に発明された大きな和時計と五角堂を、郷土資料館が開館されてからまたつくば市谷田部に訪れた際はぜひ一度皆さんに立ち寄ってみてもらいたい!そして私も改めて復刻された和時計を郷土資料館に見に行こうと思います!



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こんにちは。筑波大学大学院環境デザイン領域修士1年の勝山祐衣です。 今回は、2021年の活動をふりかえります。 栄を訪れる ー私が初めて栄を訪れたのは2019年夏のことで、市街からの距離が近い割には街の喧騒を感じさせない田園風景と、筑波山がどっしり見守っているような安心感が印象的だった。 交流館のこれまで ー何度か交流館を訪れた印象としては、交流館の入り口がわかりにくいこと、中に入って良いのかわか